子のいる生活 

旅するアート食人

時短制度の実際 わたしの場合 続き

先日のセミナーで勝間和代さんが時短制度について「配慮されるということは差別されること」とおっしゃっていたことが、印象的でして。

 
時短を取得しているから自分が感じてきたことも、確かにそう考えたら納得なんです。
自分自身で割り切れるかどうかはまた別問題ですが。
 

早く帰る分のお給料は時給換算で差し引かれますし、ボーナスの勤勉手当も引かれます(勤勉の定義って…というところは置いといて)。
 
私が早く帰ろうが残ろうが、他の職員の帰る時間は基本変わらないです。
でも、みんながみんな早く仕事を終わらせて早く帰りたいわけではないのだなぁということがよくわかったのも時短を取ってから。
 
お昼までにはこれだけ終わらせておけば午後はこんな感じで済むなぁ、とか。
これだけの量を何時までに終わらせるためにはここで巻くぞ、とか。
考えない人は考えないんですよね。
自分のペースは変えずに終わるなら終わる、終わらないならば残る。
共同作業の場合、そういう考えの人との折り合いを付けるのが非常に難しかったです。
 
他の人の考え方までは変えることができないので「自分が帰る時点では自分が一番たくさんやった」という状態で帰ってくることで折り合いをつけました。
 

 
最近は保育園にも延長制度や夕食の提供があったりもするので、
正直何が何でも毎日早く帰らなければならないというわけではなかったりもします。
突然残るのは難しいのだけど予めわかっていれば問題ないですし、
それが会議のように毎月や隔月の決まりきったものなどであればよりありがたい。

ですが、時短をとるとそういう担当は全て回ってこなくなりました。
これが「配慮」なんですよね。
当然これらの会議ものに出ないとなると昇進は遠のきます。
つまり「差別」を受けるわけになるわけです。


そもそも、会議の時間設定が勤務時間外ってどうなの?
というような議論もありますが、職種柄仕方がない面もあるにはあり。

こちら側から「これくらいであればできます!」というように
積極的に働きかける手もあったわけですが敢えてやめておきました。
なので、ここに関してうだうだいう筋合いはないのも事実です。

昇進・出世路線の蚊帳の外というポジションながら、
普段の仕事はもちろん、そこからちょっと外れた、
つまり「やらなくてもいいけどやったらいいよね」という個人的な取組に
手を出すことでモチベーションを保っているそんな現状です。